VOL.7
濱田 千江子 先生
・順天堂大学腎臓内科学講座 准教授
・順天堂大学男女共同参画推進室 女性就労修学環境支援部門 委員
・日本成人病学会・日本透析医学会・日本腎臓学会 評議員
<略歴>
1982年(昭和57年)3月 長崎大学医学部卒業
1983年1月~ 長崎大学第三内科 臨床研修医
1983年5月 順天堂大学医学部附属順天堂医院 内科臨床研修医
1985年5月 順天堂大学医学部腎臓内科学講座 専攻生
1988年4月 順天堂大学医学部腎臓内科学講座 助手
1988年7月 同上 無給助手
1989年10月~1991年3月 アメリカ コロンビア大学医学部関連 地域骨センター留学(研究生)
1991年4月 順天堂大学医学部腎臓内科学講座 無給助手
1994年4月 順天堂大学にて医学博士の学位取得
1995年4月 順天堂大学医学部腎臓内科学講座 助手
2002年4月 順天堂大学医学部腎臓内科学講座 臨床講師
2004年4月 順天堂大学医学部腎臓内科学講座 医局長・講師
2008年4月~ 順天堂大学医学部腎臓内科学講座 准教授

医師を志した時期や理由をお聞かせください。
中学生のときに女性が働くのにはどういう職業がいいかと考えたときに、選択肢に医師があり、私には向いているかもしれないと思い選びました。父親は会社員で、叔父が医師でしたので、相談したら「じゃあ勉強しなきゃね!」と言われたことを覚えています。

ロールモデルにされた医師はいらっしゃいますか?
医師になる前に父親から「税金を使ってなった職業を選んだのだから、一生続けることが社会への還元だ」と言われていましたので、卒業時に一生続けられることを考えて診療科を選びました。
その後は、周りの方のご好意があって今まで続けてこられていますが、周りに働き続ける女性医師がたくさんおられたので、その方たちを目標としてきました。腎臓の領域は女性が多く、日本腎臓学会の男女共同参画はとても充実しています。家庭を持っていても、社会に貢献して、能力を発揮される女性がたくさんいらっしゃいます。原茂子先生(日本腎臓学会名誉会員)は、名古屋大学医学部ご出身で、虎ノ門病院で長く働かれて、退職後はクリニックを開業されていますけど、今でも軽やかでスマートで、「常に興味を持って究学的な視点で診療を行うことが大切ね!」と話されていて、私の目標、ロールモデルですね。

これまで、一番つらかったことはどのようなことでしょうか?

つらいと思ったことはないのですが、ガラスの天井(=資質や成果にかかわらずマイノリティおよび女性などの組織内での昇進を妨げる、見えないけれど打ち破れない障壁のこと)があることは残念ながら感じています。また、性別のせいか、自分の性格のせいか、ネットワークを広く持つことの重要性、つまり、1人ではなく人の力を借りて、いろんな人の能力を使うと大きな仕事ができるということを、今になってやっと知りました。もっといろんな人を知るべきだったし、いろんなチャンスや出会いを大切にして、協力して仕事をやっていくべきだったと反省しています。その点、男性は若いときから先輩から教育されているのだと思います。そういうことを仕込まれてこなかった、つまり女性だからと特別扱いされてきた、叱られるべきところで遠慮されて大事にされすぎてきた、家があるからと自分でも避けて通ってきた、そういうことをないがしろにしてきた「つけ」が今あるなぁと感じていますね。反省を踏まえて、女性の先生方とのネットワークを大事にして、それをしっかりとしたパワーにつなげるため、若い女性の先生を舞台に上げるチャンスを提供することでお役に立ちたいと思っています。

どのような経緯で、准教授という立場になられたのでしょうか?

私は、有給の助手になるのが遅く、准教授になるのもすごく遅くかったのです。子どもが小さくて、夫が単身赴任だったときに、有給の助手の話が一度あったのですが、責務を負えない可能性があるとお断りしたこともありましたので。ただ、周りの方に恵まれていて、外来医長や医局長などマネージングをするチャンスをいただき、人のために自分が動くことのトレーニングをさせていただいたことはいい経験でしたね。女性を使ってみようと思ってくださったことに感謝しています。私自身が、助手であれば、准教授であれば、こういうことができないといけないと決めていたことが足枷になっていて、振り返れば堅苦しい考えですね。今は、そんなことは関係なく、それぞれの人が能力を発揮すればいいのだと思っていますけどね。

准教授という立場になって、考え方が変わったことはございますか?
何をもって価値があるかと考える時に、自分の仕事でライフワークのようなテーマがあって、それを支障なくできればありがたいと思い、そのうち評価はついてくると思っています。ここ数年は、後輩を育てることの意義を知りました。ちょうど子どもの手が離れた事も、大きいですね。

今の立場になって、大変だったことはどのようなことでしたか?

人とのつながりは難しいなと、思いますね。順天堂大学は非常にフラットなところですけど。

今の立場になって、よかったと思われることはどのようなことでしょうか?

自分でプロジェクトを企画して、それが実行できることですね。科研費獲得などで資金が得られたら、モチベーションがあがりますよね。学会に参加するときも、自分の研究のテーマやアイデアになることがないかと思うので、モチベーションにつながりますね。知識や情報から疑問を解明する研究・プロジェクトを立ち上げられることを楽しんでいます。
現在、企業の方と連携するプロジェクトに関わっていて、自分の分野といろんな分野の発想をフュージョン(融合)させて、実用化できるものを開発するということをしています。健康寿命を延ばすためのプロジェクトで、順天堂大学のスポーツ健康科学部、整形外科、神経内科の先生方、さらに他大学や企業の方と連携してプロジェクトを進めています。社会の単位で病気や健康を見たり考えたりすることができるようになり、良い経験をさせていただいています。
また、遠隔診療システムのプロジェクトで、腹膜透析の在宅医療において、いろんな通信機器を使って、安心を届けることができればと考えています。患者さんが、臓器不全(腎不全)という状態を自分自身だけで管理するのは不安ですよね。遠隔システムで「大丈夫ですよ」「これはちょっと注意が必要だから、医療機関を受診しましょうね」というアドバイスができて、患者さんが安心して自己管理ができて、必要なときに必要な方が受診すればいい状況になればいいと思っています。在宅医療は、日本ではまだ馴染みがないですけれど、今後、必要なシステムとして喫緊の問題になってくると思います。

これからやりたいこと、今後の予定や夢などはございますか?

プロジェクトのご縁で、医療経済が専門の先生とも話すことがありました。透析という高額な医療費が必要となる状態になる前の予防医学が大事だと、しみじみ思うようになりました。また産業医も長くやっておりますので、若くて元気な方たちに対しては健康をいかに維持するかの意識付けが大事だとも思っています。健康にかげりが出はじめたときには、いかに健康に戻すかということにも腐心しており、今後できれば予防医学の領域でなにか役に立つことができればと思っています。私は腎臓が専門ですから、慢性腎臓病の進展予防が期待できる社会システムに関われればいいなぁと思っています。
今後どんな形であっても、医師は生涯の仕事ですので、可能な限り、経験と知識を社会に還元できれば幸せですね。今のところ、まったく違う第二の人生をスタートさせることはなさそうです。

リラックスするための方法や趣味はお持ちですか?

仕事と関係のない本を読んだり、マッサージをうけたりすることですね。

女性医師、若い医師へのメッセージをお願いいたします。

医局の若い女性医師には、「他の人はできないスキルを持ちなさい」と言っています。
そして、常に好奇心をもち、人とのつながりを大切にして、選んだフィールドにプライドを持って前に進んで欲しいと思います。私自身の反省でもあります!
毎日ちょっと前に進む、毎日ちょっと変わる、ちょっと変えられないか?と変化を求める気持ちを持ち続けて欲しいと思います。良いと思うシステムを作っても、ちょっとずつ変えていかないと、良いシステムは維持できません。これでいいと保守的に思ってしまうと、古臭くなるし、誰も見向きもしなくなります。常に、変えられないかと考えて、そのためにアンテナを張って情報も入れて・・・小さなことでも、変化を求める気持ちが必要だと思います。

<インタビューを終えて>

生まれてから医学部卒業後までは長崎で暮らされ、その後東京に行かれ、最初は長くいるつもりは無かったそうですが、ずっと東京・順天堂大学に在籍されておられます。若い頃は子育てをしながら(シッターさん、夜中も預かってくれる認可外保育所などを利用)、20年来の産業医でもあり、どれも自然体で無理せず続けていくうちに准教授となられた濱田先生、現在講座の教授が不在の状況で、腎不全領域のトップとなられており、多方面と連携するプロジェクトにも参加しておられ、「継続は力なり」と感じました。毎日ちょっとずつ変われると、ゆっくりでも進んでいけるのだと思います。
お母様もかつて働かれており、その影響で、濱田先生も、ご兄妹も、みなさん仕事を続けておられるそうです。男性でも女性でも、仕事を持って働き「社会に還元すべき」という、ご両親の教えをしっかり守っておられます。
そのご両親は、お子さんが幼い頃病気のときは新幹線で駆けつけてくれ、パートナーは、有給休暇を利用してお子さんの学校行事によく参加されたそうです。
ご家族にも周囲の方にも感謝しながら、生涯、医師としての仕事を継続して社会還元をされるという濱田先生を、見習いたいと思います。

平成28年6月インタビュー