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VOL.8 芦刈 伊世子 先生 ・地域連携型認知症疾患医療センター センター長 |
<略歴> | |
1990年(平成2年)3月 | 長崎大学医学部卒業 |
1990年~ | 慶應義塾大学医学部精神・神経科教室入局 |
国立病院東京医療センター、慈雲堂病院、浴風会病院に勤務、慶應義塾大学大学院卒業 | |
1992年、1995年、2002年 | 第1子、2子、3子の出産 |
2002年(平成14年)9月~ | あしかりクリニック開業(東京都中野区) |
2014年(平成26年)6月~ | 同じ中野区内に移転し、脳と心の老化予防センター併設 |
2015年(平成27年)9月~ | 東京都指定中野区地域連携型認知症疾患医療センター運営開始 |
<主な著書>
1「365日、玄米で認知症予防 脳がよろこぶ、玄米・魚・野菜」(清流出版)
2「目撃!認知症の現場―専門医が診た家庭介護の実際」(一ツ橋書店)
3「医師たちが認めた 玄米のエビデンス」(キラジェンヌ)
● | 医師を志した時期や理由をお聞かせください。 |
小学校5年生の頃、いわゆる「リケジョ」で、理科が好きでした。当時、女性が自立するためには、何らかの資格が必要だと思い、理科系で何かの資格といえば、学校の先生か、お医者さんのいずれかと考えて、身体のことに興味があったので医学部を目指しました。その頃の映画・テレビで放映されていた、「赤ひげ(*山本周五郎原作、黒澤明監督の映画作品あり、地域に密着する医師を描いた作品)」の赤ひげ先生などの医師の姿を観て、医療はいいなぁと思いました。 精神科を選択したのは、学生時代の病棟実習の時でした。長崎大学はWHO研究協力センターで(1979年~現在)、施錠された扉を開けると別の世界が広がり、鍵を閉めて外へ出たら仕事が終わる、ON-OFFのはっきりした診療科だと思いました。実習で回った他の診療科では、仕事に終わりのないように感じる忙しい科もあったので、その意味で両立ができそうだと思い、精神科を選びました。結婚して子供をつくって家庭生活をしながら働く、今でいうワークライフ バランスはこれだと思いました。終わりのみえない医療現場が多いですが、これだったら女性でも働ける! と思いました。 ちょうど大学の生協で、小此木啓吾先生の精神分析の本や、浜田晋先生の「病める心の臨床」という本を見つけて読み、薬以外の治療法や、診察室以外で精神科の診療をすることを学生時代に知りました。それを読んで、街中を歩いて診療をするのは、素晴らしいと思い、精神疾患の患者さんが急性期は鍵のかかる閉鎖病棟で治療を受け、落ち着いたら、街の人として暮らすことは素晴らしいと思いました。 当時、慶応義塾大学精神科に女性が多かったわけではなく、入局の際に、「ご両親は反対しませんでしたか」と聞かれましたが、学問の内容にも興味があって選びました。医局では、統合失調症を診ることが精神科の王道だと言われていましたが、慈雲堂病院に勤めている時に、高齢者を診る医者が足りないからと言われて老人病棟の担当になり、そこで高齢者について勉強した看護師さんに出会ったのが、認知症を専門とする始まりでしたね。その後、長崎大学名誉教授の橋場邦武先生に以前紹介されたこともあり、自宅から近かったので、浴風会病院に勤務して高齢者を診る機会を得ました。そこで竹中星郎先生という老年精神医学を専門とする先生にも出会い、この分野を深めようとさらに興味を持ちました。 |
● | どのような医師を目指しましたか?ロールモデルとなった方はいらっしゃいますか? |
浜田晋先生ですね。著書もたくさんおありですし、私も浜田先生のように本を書くことは憧れます。 |
● | これまで、一番つらかったことはどのようなことでしょうか? |
子どもが2つ違いで、最初は2人が同じ保育園に入れなかったので、1人は保育ママ※に預け、1人は保育園に預けて仕事へ行きました。保育ママは、食事が持参だったので、朝からお粥を炊いて離乳食のお弁当を作りました。雨の日のお迎えが最悪で、保育ママから1人受け取り、保育園にもう1人の迎えに行き、金曜日は保育園から持ち帰る大きな荷物があって、それを抱えて、傘をさして家に帰る…その瞬間は、今でも思い出したら寂しく、つらいですね。孤独を感じましたね。近くに実の親が住んでいましたが、子どもが病気の時や緊急の時にお世話をお願いしていて、育児全般を頼むことはなく、普段は、1人で育児をやっていました(当時パートナーは忙しく深夜12時までに帰宅できない日も多かったそうです)。 |
● | 東京都指定中野区地域連携型(診療所型)認知症疾患医療センター長という立場には、どのような経緯でなられたのでしょうか? |
もともと、あしかりクリニックが、今のセンターの事業目的と同じ地域密着型の医療をやっていましたので、医師会も区役所もセンターになることに疑問はありませんでした。開業の前に中野区の保健所に派遣されていた時期があり、開業先を考えている時に、「ぜひ中野区にしなさい」と、保健所の人たちから勧められて開業をした経緯もあり、保健所とは開業時から連携・協力体制ができていました。また、「患者さんがちゃんとした福祉を受けられるように、行政・区役所と仲良くやって、行政から情報をもらい協力しないと街中では仕事ができないよ」と、尊敬する浜田晋先生から直接アドバイスをいただいたこともありました。東京には地域連携型認知症疾患医療センターの診療所型は10か所くらいあり、それ以外は大きい総合病院や精神科病院が担っています。 |
● | センター長という立場になって、考え方が変わったことはございますか? |
組織を運営することはあまり得意ではなく、開業してから勉強しましたが、組織人としての資質がまだ足りない部分がありますね。地域の組織運営の仕方をもっと知らないといけないと、思うようになりました。医師会の先生と協力することの難しさを感じることもあります。 |
● | センター長になって、大変なことはどのようなことでしたか? |
東京では、精神科のクリニックの患者さんは適応障害とうつ、躁うつ病、パニック障害などです。認知症の患者さんは、まず、かかりつけ医か地域包括支援センターに相談するようになっています。認知症初期集中支援チームのメンバーには、かかりつけ医が入りますが、専門医との関わりで意見がくい違うこともあります。そのかかりつけ医の先生方と、区から委託され専門医でもある私が、協力して区の認知症対策を行っていくのは、センター長となると、ますます大変になりました。どこのセンターでも同じようですが。 |
● | センター長になってよかったと思われることはどのようなことでしょうか? |
意見を聞いてもらえるようになったことですね。裁量権もありますが、裁量権を出し過ぎないように、孤立しないように努力しています。それと、東京の診療所型のセンター長が集まって話し合う場に出る資格をいただき、そこで発言権をもち、企画や対策に関わることで、東京都の行政を動かす機動力がでましたね。委託費用もいただけるので、精神保健福祉士、心理士、看護師などの人件費をまかなっています。 |
● | これからやりたいこと、今後の予定や夢などはございますか? |
今年の春から、松濤館空手を始めました。患者さんに運動を勧める立場なので、自分でも何かしないといけないと思ったからです。空手は5歳の頃に黒帯だった父親から少し習ったことがあり、飛び跳ねてかっこいいという憧れから始めました。品川の道場まで月2回くらい通っています。大人の空手教室で、今どき珍しく武道や人の道を教える先生です。黒帯の40~50歳代の女性が、20%くらいおられ、私も60歳までに黒帯になることを目指しています。できるかしら?(笑) |
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● | リラックスするための方法や趣味はお持ちですか? |
空手で声を出したり蹴ったりしてリフレッシュしていますね。骨盤整体やエステなんかも行っています。たまに海外旅行に行くと心が洗われますね。 |
● | 女性医師、若い医師へのメッセージをお願いいたします。 |
コツコツでも、自分が専門でやりたいことを諦めずにやっていくと、レジェンドになれますよ。途中で辞めたり、方向転換したら、そこから再スタートですが、それでも続けていったらいいですよ。自分を見失わないこと。自信を無くすこともあるし、元気がなくなることもあるでしょうが、初めに医師になりたいと思った時のイメージを信じることでしょうね。そしたら、必ず助けてくれる人がいる、教えてくれる人がいる、おかげさまだと思える日が来る! おかげさまだと思える日が、必ず来るから、いろんなことがあっても信じてやっていくことでしょうね。それと、医師以外の友達を作ること、ママ友など、会うと元気になる人と出会えるといいと思いますね。 |
<インタビューを終えて>
長崎と東京では事情が違い、東京の認知症の患者さんは、すぐ入院・入所できる施設が少ないため、家庭に居て地域で診ていくそうです。芦刈先生は、人口32万人の中野区に住む認知症患者さんの「赤ひげ」先生を目指して頑張っておられます。卒業前から、なりたい医師像・やりたい医療の方向性が明確で、人脈を広げながら目標に向かって突き進み、やりたいことに到達しておられます。その中で、一番つらかったのが、小さい子どもを2人連れて雨の降る週末に、保育所のたくさんの荷物を抱えて傘をさして帰ったこと…これは、長崎でも東京でも、今も20年前も変わらず共感できるシーンだと思います。また2歳違いの子ども2人という状況は、上の子がしっかり歩かない状況で赤ちゃんを抱えることになり、みなさん大変そうです。でも、そのつらさを乗り切っている女性医師は芦刈先生を含め、たくさんいます! 目標を定めて、目標に向かって頑張りましょう。
平成28年10月インタビュー