
VOL.15
渡海 由貴子 先生
T・I クリニック長崎 ~乳腺外科・婦人科~ 院長
<略歴>
1999年(平成11年)3月 長崎大学医学部卒業
1999年4月~ 長崎大学医学部付属病院第二外科入局、研修開始、関連病院勤務および大学病院乳腺内分泌外科
2011年4月~ 恵仁会今村病院(現:いまむらウィミンズクリニック)、国立病院機構長崎医療センター(非常勤)、国際医療福祉大学三田病院形成外科
2016年3月〜 いまむらウィミンズクリニック 副院長
2022年(令和4年)5月~ T・Iクリニック長崎 ~乳腺外科・婦人科~ 開院
●医師を志した時期や理由をお聞かせください。
父方の祖父母・父親が医師であったため、正直、医師以外の道が用意されていなかった感じで、自然に医師を目指しました。
祖母が大阪女子高等医学専門学校(昭和3年創立、現:関西医科大学)卒業の医師であった影響は大きく、まだ女性医師が少ない時代にずっと現役で働く姿を見てきたので、なんとなく、自分もそうなるのだと思っていました。
母方の家に遊びに行くと、特にお正月は女性陣がとても忙しく家事をして大変そうでした。母方の祖母は真の良妻賢母で本当に尊敬する一方で「私はそうはなれない、働く女性になろう」と考えました。
父方の家には住み込みのお手伝いさんがいたので、祖母は家事をしていませんでした。父は娘である私にも、祖母と同じようにずっと医師として働いてほしいと思っていたようで「家事をしなさい」と言われたことはなかったですね。
父の期待ほどの良い娘ではなく、苦労もかけてきましたが、「自分の好きなことを活かせるところで頑張りなさい」という感じで、父は支えてくれています。
●どのような医師を目指しましたか?
高校生の頃には「学術的なことより町医者になってみなさんの役に立ちたい」と思っていました。大学生の頃は今のような研修制度は無くて、いきなり入局する時代だったので、「この科は違う、この科は好きかも…」と入局先を考えていた時に、母が乳がんになりました。
これをきっかけに、外科の領域は広いけど、乳がんを専門にする医師になろうと決めました。実家は産婦人科なので、主に女性を専門に診る点では繋がりがあります。
でも、乳房の専門を産婦人科と思う人が多いことに驚き、それで私はその繋ぎ役をする人になりたいと漠然と思いました。「外科って大変じゃない?」とよく言われましたが「大変だったら辞めればいいし、解決に向かう方法が明確に見えるし、女性が乳腺外科を専門にするのは、この先絶対良いことだ!」と決断し、外科を選びました。
私は、第二外科(現:移植・消化器外科)に入局した女性医師の7人目でした。
●これまで、一番つらかったことはどのようなことでしょうか?
外科で仕事を始めたばかりの頃が一番つらかったですね。
自分が役に立っている感じもなく、体力的にはめちゃくちゃきつくて、家に帰る時間もなく、当直もオンコールもいっぱいあって… ヘロヘロになっていました。
自分で手術を執刀できるくらいになると、やり甲斐も感じて、つらくなくなりました。
●どのような経緯で開院されたのでしょうか。
実家の産婦人科医院では、自分がやりたいこと(後述の乳腺・肛門・美容)が、スペースやスタッフ数の点から限界になってきたことと、乳がん患者さんが産科の医院を受診することが、患者さんの心情を考えると難しいと思ったことも一因です。
私の采配で私の好きなように運営したくなり、ゼロベースで新クリニックを立ち上げ、独立することにしました。
実家の産婦人科の中で乳腺診療をやってきた経験から、両者は切り離せないという感覚は強くあり、婦人科併設は必須と考えていました。
また、ちょうどコロナ禍の真っただ中に開業したので、リスク分散のためにも、これまで通り自分ができる範囲の美容医療も少し入れて、さらに肛門科も入れました。
乳腺外科は、形成外科とも切り離せないことから、そちらのお師匠を見つけて修行をしてきていました。そうすると、若い女性にたくさん接するのですが、なかには美容の広告を見て、高額な費用を得るために、不適切な働き方をするような女性もいたので、そういう人をできるだけ救済したいと思いました。
適正なことを適正に提案してあげたいと思って、美容のコンセプトとしては、手が出しやすい内容を、適正な技術と適正な価格でやりたいと思っています。
肛門は外科の領域ですが、長崎県内で肛門科を標榜している医院のうち、女性医師は2人だけです。
実家の産婦人科で、妊婦さんや褥婦さんは、実はお尻の悩みが絶えず、潜在的な患者さんは多いと感じていました。当初、その領域に踏み込むつもりはなかったのですが、女性医師じゃないと診てもらいたくないという女性が多いこともわかり「私がやらなきゃ!」と思って診察をすることに。
「やるなら、ちゃんとやらなきゃ!」と奮起して、開業前に大腸肛門病学会に入り研修を受けて資格も取り、大腸肛門外科医の夫にも習いながらジオン注という痔核に対する注射の日帰り治療をしています。
この治療を受ける方は結構多いんです。軽症の患者さんを見つけて、軽症のうちに治したい。手術が必要な患者さんは、他院に紹介しますが、やはり女性医師がいいという方もいるので、他院で私も一緒に手術に入ることもあります。
本当に、ニーズを感じとって、色んなことをやっている感じです。婦人科の妹(今村亜紗子医師)が私の方針に賛同して一緒に働いています。
妹は周りの状況を見る才能に長けており、職場で何か不安要素があると意見を言ってくれますし、私が苦手な事務的なことを手伝ってくれます。
臨床においては乳腺の手術にも全て入ってくれますし、診察室は隣同士なので、リアルタイムでやりとりをして、私は婦人科疾患のことが、妹は乳腺や肛門疾患のことがある程度わかるようになって診療がしやすいです。
具体的には乳がんのホルモン療法中の患者さんの子宮内膜や卵巣の変化を診てもらえますし、逆にHRT(更年期のホルモン補充療法)や低用量ピルを服用する患者さんの乳房をスクリーニングするなどがシームレスにできています。
●院長という立場になって、考え方が変わったことはありますか?
副院長時代に労務やスタッフの調整を経験していたので、院長になると、労務が一番大変になるとわかっていたので、労務と事務・金銭管理については、適切な人材を配置することが重要だと認識していました。
私には向いていないという自覚もあるので、そこをきっちりと適材適所で任せる判断をしたことは、変わったことですね。
自院では、事務長と総務のお二人にお任せして、私は臨床に集中できるように、医療以外のストレスを自分自身にかけないようにと思いながら仕事をしています。
●院長になって、大変なことはどのようなことでしたか?
やっぱり、労務と人間関係ですね。スタッフは20人ぐらい。
看護師、看護助手、事務など、職種も働き方も様々なため、小さな問題が生じることもありますが、不満が噴出しないように、調整することもあります。
おかげで開院してもうすぐ3年になりますが、誰もまだ退職していません!
●院長になってよかったと思われることはどのようなことでしょう?
自分の好きなことをやれる、ということにつきますね。私が届けたい医療を提供できることですね。
例えば私がどこかに勤めて、乳腺の診療をやりながら、形成外科的な部分もやりたい、お尻のことも診てあげたいと思っても、なかなか自由にできないので、そこが一番良かったことかなと思っています。
●これからやりたいこと、今後の予定や夢などはございますか?
まず、この体制を維持することがとても大事だと思っています。
患者さんが安心して受診できる、スタッフが安心して働ける、良い環境を維持していくことが前提にあります。
さらに、この先に夢を追うことがあるとすれば、やっぱり女性のための医療を最初から最後まできちんとやってあげる、サポートするところを作りたいですね。
例えば、乳腺センターのような、まだ長崎では多くない乳房再建をきっちりできる体制や施設を作ること。そして説明のつかない部分、価値観・こだわりのような部分も含め、女性のニーズをくみとって診療してあげたい。
がんにかかってしまっても、色々諦めてほしくない。「アピアランスケア」という、治療に伴うマイナートラブル、眉の脱毛や薄毛になることのケア、下着のことも、人工乳房も、シミとか肝斑のケアなどの色んな悩みはマイナーな事象とも捉えられますが、本人には大事なことがたくさんあります。
私は学術的なことはできないけど、そういう患者さんのニーズに寄り添いたいと思っています。
例えば、抗がん剤治療中に使用したウイッグをクリーニングして、レンタルで貸し出しているNPO法人の知人がいて、そこと提携して、いろんなウイッグを試着して、使用後はクリーニングしてまた貸し出すようなサービスもしてみたいと思っています。
●リラックスするための方法や趣味はお持ちですか?
仕事を終えて、家に帰ってビールを飲むのは幸せの1つです。
高校まではクラシックバレエをしていたので、今でも歌ったり踊ったりしますし、バスケット観戦もします。プロバスケ長崎ヴェルカのホーム戦(年間30試合)の9割位は見に行っています。
2023-2024シーズンから長崎ヴェルカのシルバーパートナー企業になりました。
夫がバスケット経験者で、引きずられるように一緒に見に行っているうちに、だんだん「生で見ると面白い!」と思うようになりました。
空港で選手のみなさんと遭遇したことがあり、お話しもして「なんだか楽しそうだからクラブを支援するサポーターになります!」と言ったら、ピンクリボン活動(※下記写真参照)をやって欲しいと頼まれました。
アメリカでは、よくアメフトやバスケの試合の時に、ピンクリボンの啓発イベントをやっているそうです。日本でもプロ野球福岡ソフトバンクホークスがやっていますよね。それを長崎ヴェルカの社長がご存じで、ピンクリボン活動を広げていきたいと思われたようです。
ジャパネットさんも、長崎ヴェルカ、V・ファーレン長崎の活動を通して、地域に社会貢献をしたいと思っておられて、バスケのほうでパートナーシップを結んだ乳腺クリニックは、当院だけだったので、お声がかかったようです(2025年4月~ V・ファーレン長崎のパートナー企業にもなります)。
この2年間、ピンクリボン啓発イベントをしていますが、その時にお配りしたチケットをもって、早速当院を受診され、早期乳がんが見つかった方もいます。スポーツイベントでのピンクリボン活動で、少しずつですが、今まで啓発できていなかった潜在的な層にも効果が出ていると思います。

※ピンクリボンとは、乳がん啓蒙運動のシンボルマークであり乳がんに対する理解と支援のシンボルです




●女性医師、若い医師へのメッセージをお願いいたします。
今の若い先生方は、昔より覚えることが多いですし、真面目に本当によく勉強していると思いますが、その分しっかりしすぎていて、計画性がありすぎ?というか、人生を計画通りにきっちり歩もうとしているイメージがあります。
長崎大学医学部から当院に実習に来る学生さんは、将来の計画をきっちり考えているようです。でも、きっちり考えても思い通りにはならないので、行き当たりばったりとまで言いませんが、その時その時の選択肢が当たればいいと思って、そこで全力を尽くしてみるとか、そういうことも大事じゃないかなと思っています。
私の娘もこの4月から医学生になります。母親の背中から学べるもの、反面教師でもよいので何かしら学んで、精一杯、医師人生を生きてほしいと思っています。


<インタビューを終えて>
長崎県で最初に女性の専門医による乳腺外科クリニックを開業された渡海先生。
開業はすごく覚悟のいることだと言われながら、女性のニーズを理解してあげたい、女性のための医療・サポートをしてあげたいと感じて頑張っておられます。
女性にとって、安心できる場所を作ってくださっている渡海先生は、Best Doctors in Japan(医師間で信頼されている医師としての相互評価調査に基づく)にも認定されておられます。
みなさんの周りに、渡海先生にニーズをわかってほしいという方がおられたら、是非おすすめください。
日本人女性の乳がんの罹患率は9人に1人まで上昇していますが、検診を受けない方が半数以上いるのが現状です。多くの方が検診を受ける事によって、乳がんで亡くなる方が減ると期待されており、渡海先生はじめ多くの関係者がピンクリボン活動を頑張っておられます。
女性のみなさん、是非乳がん検診に行きましょう!
令和7年1月インタビュー