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『病気で休職して、新しい見方ができるようになりました』 蓬莱 真喜子 先生

2025.05.09

私たちのワークライフバランス実践術 No.28
長崎大学病院 血液内科(助教) 蓬莱 真喜子先生(40代)

<医師のパートナーと小5・小2のお子さん>
『病気で休職して、新しい見方ができるようになりました』
2025年3月14日インタビュー

<略歴>
●長崎県出身、長崎大学卒業、長崎医療センターで研修
●4年目に結婚、5年目、8年目に出産(いずれも育休は4か月程度)、ハートセンターに3年間勤務して検診と研究を行い、大学病院勤務して臨床復帰
●9年目に血液内科専門医・総合内科専門医の資格と学位を取得~助教となる
●長崎医療センターに2年間勤務後、大学病院勤務
●2024年5月~乳がんの診断を受け治療のため休職、2025年1月~復職、現在は内服治療を継続中

Q1. 現在の「ワーク」と「ライフ」のバランスは?

A1. 休職前は、病棟医長としての業務と、入院患者さんの主治医や週末には当直業務もしていました。復職後は、以前の仕事量の半分位です。勤務時間等は産業医と相談しながら、少しずつ増やしています。
病棟医長は、ベッドの調整や主治医の割り振り等の重責でストレスが結構かかっていたので、今はその業務を外してもらっているのは助かっています。

病棟主治医は以前の半分の人数を担当しています。夜の当直もしていませんが、今春からは、週末の日直業務から始めようかと考えています。退勤時間は、もともと子どものお迎えに間に合うように18時~19時頃でしたが、今は17時半~18時頃には帰っています。

家庭生活の面では、病気がわかる1か月前の昨年4月から、当直を週末だけではなく平日夜にもするように、夫に朝夕の家事に慣れてもらう準備をたまたま進めていました。4月中旬に病気がわかり、5月の入院期間は20日間位、その後の抗がん剤治療2泊3日の入院の際は、できるだけ平日よりも負担の少ない木・金・土曜日の週末にして、そこは夫が頑張る!体制がスムーズにできました。

理由は変わりましたが、夜に私がいない間の家庭生活について夫と相談できていた事が功を奏し、私が急遽入院になっても、夫は経験値ゼロからの家事・育児ではなかったので「準備していてよかった~!」と心から思いました。

夫は、私と同じ病院で勤務していた頃も、お互いの仕事に対する姿勢がよくわかるので、子どものお迎えにも行ってくれましたし、今は、買い物も行ってくれます。
なので、仕事も家庭も、両方とも分担できて楽になっている状況です。おかげで、今まで取り組めなかった研究のことを考える余裕すら出てきました。

Q2. 論文を読む時間や、勉強する時間はいつですか

A2. 今は、院内で隙間時間ができた時に、読むことができます。以前は、医局に席はあっても座っている時間がありませんでした。家では、夜に子どもに宿題をさせている時に、横で読んでいます。

Q3. 育児・家事の時間短縮のコツやおすすめしたいことは?

A3. 最近思うのは、やっぱり夫婦で分担した方が、圧倒的に早いですね。お互い子どもについて情報共有して様子がよくわかり、私の負担も減るし、夫は達成感も感じているみたいなので、2人で同時に色んな事ができると、自分1人でするより、本当に良いです。子どもにもやらせてみて、できることを増やしていく事ですね。

Q4. 子育てから学んだことはなんですか

A4. いっぱいありますね。「成長を待つ」こと。上の子は、すごくおっとりしていますが、でも着実に成長しているんだなって感じます。早く成長してほしいと思う一方で、やっぱり忍耐強く見守って、待つ大切さを子育ての中で学びました。

若い先生を立場上、指導することがありますが、大人でも反応が早い人も、ゆっくりな人もいて、人それぞれですよね。時間がかかっても、前に進んできてくれると信じるのは、子育てと一緒だと思います。
また、病気をしたことで、気づいたこともあります。子どもに対して「手をかけすぎた」と。

本当は、子どもが、自分でやったほうが良いこともあるようです。子育ての見直しみたいなことが今回できて、子どもの成長のために親として今何ができるのかを考えて「〇〇ができるようになったら、本人も家族も助かる」と伝えると、子ども自身も納得して、家族の一員としての役割をするようになりました。

例えば、食事前の準備や後片付けを、私の体調がきつい時に「自分でできるかな?」と頼むと、嬉々としてやってくれました。「してあげなきゃ」と私1人で抱えていたものは、子どもに頼ることで負担を分散できるんだと思いました。

Q5. 子育てしていてピンチだったことは?

A5. 子どもが入院しないといけない状況になった時は、ピンチだなって思いました。私自身の病気の時は、自分的には良い発見もありましたが、子ども達にとっては「親の病気」という精神的な負担をかけてしまったと思います。

Q6. 今回、治療をしながら学んだことがありますか?

A6. 腫瘍内科医が抗がん剤の治療を受けるという状況で色んな学びがありました。具体的には、乳がん患者さんの多くは女性で「女性にとって、髪の毛が抜け落ちることは相当ショックなんだろうな」と推察する程度でした。

実際は、女性に限らず男性も髪の毛が抜けていく時ってすごく、頭皮が痛いんですよね。これまで患者さんから一度も言われたことが無かったんですけど。職場復帰してから患者さんに尋ねると「痛いです」と話してくださいました。自分が知識として知っていたこと、知らなかったことも結構あって、治療を受けた患者さんの立場になってみて、初めてわかる細かな気づきがありました。

乳がんの治療薬は、私の専門である血液内科で使わない抗がん剤もあって、副作用も初めて知るものがあったのですが、私は筋肉痛が強く出た方だったので、その痛みを抱えながらスケジュール通りに治療をしていく過程は「あぁ、かなり負担だな」と感じました。

私は最初の2週間毎の治療で、吐き気、骨痛で、注射のあと2日位動けず、それだけでも筋力が落ちるのがわかりました。そこで、朝から子どもと一緒に小学校まで歩くようにしました。化学療法が4コース終了して、次の治療薬では注射後1日半位から腰から下の痛みがすごく強くて、鎮痛薬を使っても頭から汗が出る位痛くって…。どうにか時間をつぶしながらやり過ごしていました。

体調が良い時は、横になってずっと本を読みました。食事も、自分が食べやすいものを工夫して作るようになって、料理のレパートリーが増えました。共働きのため、以前は時間との勝負で、いかに早く作れるかを考えていましたが、治療中は、時間をかけても、食べたい料理、食べやすいものを作るようになりました。

治療を通して、患者さんの気持ちがよくわかり、病気になってから、新しい見方ができるようになりました。

Q7. 治療をしながらピンチだったことは?

A7. 子どもが病気になって、病院に連れて行く時に、私の体調が悪くて…。通院はどうしても平日になるので、夫は仕事の調整が難しく、私がぼんやり車の運転をして怖い思いをしました。時間的な余裕はあるので、慌ただしいピンチではなかったですけど。

職場においては、病気の報告や治療のための不在時・フォローをだれにどこまで周知するかという問題がありました。過去2回出産で休職しましたが、出産はおめでたいため、基本的には医局全体に周知できます。しかし、今回は短期間で病気のことをだれに説明して、私の業務をだれにお願いするのか、受診日の休みや入院期間、その後の仕事もどういう風に調整するのかわかりませんでした。

まず、教授と医局長に今の状況を連絡して、その先だれに伝えるかが難しかったです。出産とは異なり、病気はデリケートな部分もあり、情報を受け取る側も対応に困ると思います。私の考えは、きちんと治療して、その後スムーズに復帰したいという気持ちがあったので、医局の皆さんに自ら説明しました。

組織の中で治療と仕事の両立について、どの範囲まで、どのように情報を共有して、復帰させるのか、働いているAYA世代のがん治療において、管理職が知っておいた方が良い方針があれば良いと感じました。医局長には大変な負担をかけたと思います。

病気による休職は、寛解や完治までの期間がわからない、手術までの短い期間で仕事の引き継ぎをしないといけない、急いで決めないといけない事が多い。特に乳がんは、手術して病理やリンパ節の結果が出てから治療方針が決まるので、いつまで休むかというゴールも上司に報告する段階では見通しが立たちません。

出産による休職~復帰までの流れと違いましたね。復帰するには、産業医の先生と面談が必要です。医局長はじめ医局の皆さんが支えてくださったおかげで、しっかり休ませてもらい、治療を完遂して復職できました。

Q8. ストレス解消法を教えてください。

A8. 旅行の計画を立てるのが、すごく好きです。目的地までの経路や交通機関をどうするかを考えるのが、めちゃくちゃ好きなんですよね。抗がん剤の治療中は遠出ができなかったので、主人も「元気な時に行こう!」って言います。旅費は夫が出して、計画は私が立てます。治療が終わった後に、家族みんなで旅行してきました。

Q9. 今後の人生設計について、どのようにお考えですか?ワークとライフそれぞれについて教えてください。

A9. 分の専門とする領域の新しい治療を行うために、造血細胞移植学会認定医や、がん治療認定医の資格は、今後取ろうと思っています。髪は、また伸ばします。娘の「髪が長いほうがいい」と言う意見通りにします。

Q10. これから仕事とライフイベント(仕事と子育て、仕事と治療)を両立する皆さんへ、応援のメッセージをお願いします。

A10. 私は、病気をしたことによって、それまで必死に過ごしてきている中で見えなかったものが、見えるようになってきて、子ども達とも、ある意味時間をかけて対話ができるようになりました。家族の事や、職場の業務内容も見直す機会になっていたかもしれません。「ピンチはチャンス」とは言いますけど、本当にそんな感じです。

職場においては、経験年数と人数の兼ね合いでグループ主治医制に移行するのはまだ難しいのですが、今、私は業務に余裕があるので、重症患者さんの情報を共有して、臨時のグループを作って、主治医の負担をなるべく減らすようにフォローしています。

この場をお借りして、お伝えします。私は自分が勤務する病院で患者となり入院治療をしてきたので、たくさんの方が、ベッドボードにある私の名前を見て、気にかけてくださっていたようです。自分の担当患者さんがお世話になることがある麻酔科の先生や、院内にいる大学時代の同級生、入院した病棟の同じフロアの第一内科の先生達…。

入院中は声をかけられないまま心配してくださっていた方もいたと思いますが、復帰してからは、いろんな職種の方にも声をかけてもらうんですよ!この記事を読んでもらって、元気な姿を見ていただけたら嬉しいです。

私は全然病気を隠すつもりはなくて、腫瘍内科医として、治療を全うして、スムーズに復帰できたことを、これからも示していきたいと思っています。

<センターより>
病気になっても、とても前向きで「ピンチをチャンスに!」という蓬莱先生。出産後も数か月の育休取得で復帰され、今回の病気治療の後も、スムーズな復帰を目指して、職場の皆さんに状況をお伝えしたとのこと。自分がやりたい仕事を続けることが大前提で、しっかりと調整をされておられます。

出産・育児、病気、介護など、様々な理由で休職した後の復帰の時期や職務は、人それぞれだと思います。さらに職場の受け入れ体制や受け入れる側の意識によっても、復帰したい!という気持ちは違ってくるかもしれません。蓬莱先生は、職場への働きかけをしっかりされて、受け入れ態勢を整えてもらい、安心して復帰されたようです。

治療後の蓬莱先生は、患者さん目線を持った、さらに頼れる素敵な腫瘍医になっておられます。