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輝く卒業生インタビュー 瀧原 圭子 先生

2015.06.02

VOL.1
瀧原 圭子 先生
・大阪大学 副学長・保健センター長
・大阪大学大学院医学系研究科循環器内科学教授(兼任)

<略歴>
1980年(昭和55年)3月 長崎大学医学部卒業
1986年3月 大阪大学大学院医学研究科博士課程修了
1988年4月~1990年3月 トロント大学博士後研究員
1992年8月 大阪大学医学部第三内科助手
2000年4月 大阪大学大学院医学系研究科分子病態内科学(第三内科) 助手
2002年8月 同、講師
2004年(平成16年)4月 大阪大学保健センター 助教授/准教授
2008年(平成20年)4月 大阪大学保健センター 副センター長/教授
2011年8月 大阪大学総長補佐(~2014年9月)
2012年(平成24年)4月 大阪大学保健センター センター長
2014年(平成26年)10月 大阪大学副学長

<所属学会>
日本循環器学会・日本肺循環学会・日本肺高血圧学会:理事
(他、多数の学会の評議員を務める)

医師を志した時期や理由をお聞かせください。

高校生の時に、当時女性が選択できる専門職は、教師と医師くらいで、医師としての仕事はやりがいがありそうだと思い選びました。
長崎大学医学部にいた同級生の女性は約10名(同学部学生総数120名)でした。

ロールモデルとなった方はいらっしゃいますか?

ロールモデルはいませんね。父は大学教員でした。

これまで、一番つらかったことはどのようなことでしょうか?

長崎大学を卒業して、郷里の大阪に戻り、大阪大学医学部附属病院で研修を始めました。
研修期間はよかったのですが、女性で他大学出身という、ダブル・マイノリティであったため、グループのチーフとなって後輩の医師、特に男性で大阪大学出身者を指導する立場になった時が、一番つらかったです。

どのような経緯で今のポジションに就かれたのでしょうか?

運と縁がもたらすチャンスを受け入れて、今の立場にいます。
循環器内科にそのまま在籍していたら、今の教授・副学長というポジションにはならなかったことは確かですね。

運と縁がめぐって、保健センターで仕事をする話が出た時に、チャンスだと思って引き受けました。
予防医学的要素はあるものの、患者さんを診る領域ではなく、医学部・循環器内科の仕事から離れることは少し寂しかったですが、大学のためにできることを精一杯しようと思いました。

今のポジションになって、考え方が変わったことはございますか?

全学的視野で見ることができるようになりましたね。
大学執行部の中にいて、大学の運営を考えるようになりました。

現状で、大変なことはございますか?

大変というわけではないですが、大阪大学には海外からの留学生が10%程度いて、日本人の学生には見ることがない病気に罹患していたりすることがあり、キャンパス全体の健康問題・メンタルヘルスも含めて考えるためには、視野を広げないといけないし、各学部とのネットワークを作って、学部長とも話をして、情報交換をしないといけません。

リーダーになってよかったと思われることはどのようなことでしょうか?

視野が広がった!!

これからやりたいこと、今後の予定や夢などはございますか?

私は、運と縁に恵まれていると思っていて、人とのつながりによって、何か使命を与えられた時に、ベストを尽くすことにしています。
「人事を尽くして天命を待つ」のではなく、「天命を待って人事を尽くす」そして、次の天命を待つ、というスタンスですね。

今の山を越えたら、また次の山が見えてくる、それはどんな山かわからないけど、次の山が見えたら、またそれを超える努力をするという感じです。
与えられた天命は、チャンスと考える。だから、「実はこれはやりたくない仕事だった」という言い訳はしないですね。

リラックスするための方法や趣味はお持ちですか?

オン・オフの切り替えははっきりしていますよ。旅行にいって旅先でゆっくりしてリラックスしてきます。近場の海外に行ったり、沖縄に行ったり。

女性医師、若い医師へのメッセージをお願いいたします。

女性医師には、「仕事を続けることが大事!」ということですね。
女性医師が子供を持った後でも、パートタイムではなく、常勤医として、それが今よく言われている短時間常勤からでも、責任のある仕事をしていくことが、医師としてのキャリア形成に大事だと思います。

都会にはパートの需要も多く、大阪大学の女性医師でパートのままでいる人もいますが、医師として責任を取る仕事をしないと成長はしないと思っています。

若い先生に対してのメッセージは、「自分が選んだことには責任を持つ!」「自分がやると決めたら、ベストを尽くす!」ことですね。

また女性医師は、将来、講師~准教授~教授・病院長になろうというキャリア展望や野心をもって行動する人はやはり少ないと思いますので、男性医師の考え方とは違う場合があると思います。
だからこそ、決議機関に女性が入ることは大事だと思いますよ。

<インタビューを終えて>

瀧原先生は、長崎大学をご卒業後、大阪大学医学部の循環器領域でご活躍され、日本循環器学会初の女性評議員2人のうちの1人として選ばれておられます。

現在は同学会の理事を務められ、男女共同参画委員会の委員長として、同学会のために、全国の地方会にも出席されています。
大阪大学では副学長として、広い視野を持ち、大学の運営に関わるお立場であり、先生の柔軟な考え方、与えられた仕事にはベストを尽くすという姿勢は、学会や大学の決議機関においても、流れを変える発言となって浸透していると思います。

今後ますますのご活躍を期待しております。
先生の目の前に見えてくる次の山(天命)がどんな山なのか、私たちも楽しみです。
これからも私たち後輩の力の源になってください!
(平成27年6月インタビュー)

瀧原先生が、教授就任のご挨拶をされた長崎医学同窓会「朋百」Vol.119の記事は、こちらよりご覧ください。