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女性養成医編-(1)『患者さんとの距離がとても近い!一次離島とひと味違う、二次離島』北山 素 先生

2024.03.08

私たちのワークライフバランス実践術 No.25
女性養成医編(1)
長崎大学病院 消化器内科(助教) 北山 素 先生(40代)


『患者さんとの距離がとても近い!一次離島とひと味違う、二次離島』
2023年4月17日インタビュー

<略歴>
● 医学部卒業
●2006年 長崎医療センター研修医(2年間)
●2008年 長崎県奈留病院(現:長崎県五島中央病院附属診療所奈留医療センター、3年間)
●2011年 長崎大学病院消化器内科入局・勤務
●2013年 県内関連病院勤務
●2015年 長崎大学病院勤務・大学院入学
●2016年 長崎大学医学部先端医育センター助教【義務年限:2年✕1.5=3年間→義務完遂】

Q1. 養成医になった経緯を教えてください

A1. 中学生の時、テレビで地域医療に従事する医師のドキュメンタリーを見て興味を持ち、志しました。修学生になると、離島で勤務できることを知り、医学部5年生から2年間、奨学金をもらい修学生から養成医になりました。

Q2. 離島勤務時代はどんな1日を過ごしていましたか。

A2. 赴任した長崎県奈留病院(当時)は、医師3人体制。院長と外科医師が在籍しており、私は内科全般を担当しました。

病院の隣に宿舎があり、通勤は30秒(!)で、8時40分に出勤。病棟を診て、午前の内科外来を毎日していました。昼食は病院が準備したものを食べ、午後からは病棟、透析関連業務、往診業務(週1回)。午後の救急患者さんは、医師3人が当番制で診ていました。この他、胃内視鏡検査もしていました(研修医中から、必要と考えて準備)。

義務年限の後半は、週に1回、長崎県五島中央病院の消化器内科で研修。自院のCT検査で分からない所見があったら、その時にフィルムを抱えていき、放射線科にコンサルトできました。透析でトラブルがあった際も、すぐに長崎県五島中央病院の泌尿器科に連絡。連携は必須でした。

17時30分には、おおむね業務終了。当直(自宅での宅直)は、医師3人で行うので、3日に1回の頻度でした。夜に大変な患者さんが来ることは、それほど多くありません。ただ、自院で対応できるか、長崎県五島中央病院に搬送する必要があるか、素早く見極めることが求められました。

当直ではない日は、郵送のレンタルDVDをを鑑賞するほか、読書やゲーム、ネットなど、自宅で過ごすことが多かったですね。夕食は病院内での食事や外食で、ほとんど自炊はしませんでした。24時頃には寝ていました。

Q3. 当時のロールモデルは?

A3. 一緒に働く院長先生や外科の先生ですね。お2人の振る舞いを見ながら、島民の皆さんとの付き合い方を学びました。

Q4. 離島医療に従事して、良かったことは。

A4. 地域医療の実情は、現地に行ってみないと分からない面があります。離島医療は3年間でしたが、経験値は上がりましたね。離島でしか出合わない診療対応も。例えば、内科医の私が、妊婦さんや子どもを診たり、時間外は外傷の治療もしたり。だから、外傷が来ても驚かないですよ。

小さい病院なので、新しい薬や機械、システムの導入などを自分で検討・交渉する必要があります。自らの判断で、環境を整えないといけないというマインド、当事者意識が身に付きました。

Q5. 逆に、どんなことが大変でしたか。

A5. 大変だったのは、搬送のタイミングを早く決断しなければならないこと。近隣の一次離島である長崎県五島中央病院への搬送は、船で40分かかります。自院で対応できないと判断できても、様々な事情で受け入れてもらえない場合も。スタッフも薬剤も限りがあり、タイミングが遅れて重症になれば、さらに大変なことになりますから。そこは、二次離島医療独特の緊迫感かもしれません。

Q6. 離島で感じた、やり甲斐とは。

A6. いろんな病気を診ることができましたし、何より日常で会う人達が、回復して良くなる姿を、身近に見ることができました。そこにやり甲斐を感じていましたね。

Q7. 離島ならではのエピソードを教えてください

A7. 外食に出かけると、いつも患者さんや職員さん、その家族など、知っている人に会っていましたね。「どうも、どうも~」と挨拶しながら食べていました。時には、「そんなに食べちゃいけないのに」という人が、がっつり食べていたりして。その場では見て見ぬふりをしていました(笑)。

海の生き物に刺された人が受診してくるのも、「離島ならでは」ですかね。先輩医師や看護師さんに対処法を教えてもらいました。

五島の方言で、分からない言葉や聞き取れない言葉は、看護師さんが通訳してくれました。

Q8. 学会に参加する機会はありましたか。

A8. 3年間で1~2回、参加することができました。当直は調整できましたが、天候不良で福江ー福岡間の飛行機が欠航になるハプニングも。急きょ船で奈留島から長崎を経由し、JRで福岡に向かうなど、旅程を変更して臨みました。

Q9. これまでで、一番悩んだことは。

A9. 離島勤務の義務年限が終わる時、まだ内科認定医も持っていなかったので、この先どうしようかと思い悩みました。先輩の先生などに相談したりして、指導を受けて資格が取れる、長崎大学病院に勤務することにしました。

Q10. 義務年限終了後の働き方、暮らし方は。

A10. 大学院に入って学位も取り、専門医も取得できました。現在は、先端医育センターと消化器内科の仕事をしています。OSCEの時期には先端医育センターの仕事の割合が増え、消化器内科の仕事が時間外になることもあります。

Q11. ストレス解消法や、趣味などはありますか。

A11. 小さい工作(メタリックナノパズル、ペーパーナノ)をすること。離島でも作っていたんですよ。説明書通りに小さいもの作り上げると、スカっとするんです

最近は、ガラスペンをもらったので、塗り絵もしてみようかと思っています。

Q12. 好きな言葉、座右の銘は。

A12. 十人十色」「臨機応変」です。

Q13. 北山先生にとって、離島とは。

A13. 研修後に初めて働いた場所なので、第2のホームタウンみたいな感じ。ご縁があればまた、離島に行くこともアリですね。

Q14. 10年後の離島医療の展望について、どうお考えですか。

A14. 5Gなどのネットワークを使って、離島医療もさらに進んでいくと思います。

Q15. 将来養成医になる医学生や、後輩養成医へメッセージをお願いします。

A15. 養成医は良い経験になります。何でも自分でやるので自信が付き、視野も広がります。必要とされていることを肌身で感じるので、達成感・充実感は必ずあるはずです。

研修医の時は、必要な知識・手技を身に付け、指導医との人脈を作っておくといいですね。困った時に相談できるようにしておくと、不安が減ると思います。

将来専門としない領域についても、危険なラインを知っておく必要があると思います。

学生・研修医の時は、好き嫌いせず、何にでも興味を持ってほしいですね。働く前から要らないと自己判断せず、将来いつか必要になると考えて身に付けておくと良いと思います。

将来のビジョンは、すぐに思い浮かばなくても大丈夫。みんな同じように迷っていますから。今やりたいことをやっていけばいいですよ!

<センターより>
五島列島の二次離島である奈留島(人口3000人未満)。そこに3年間、医師として勤務したことで、経験値がぐっと上がった北山先生。現在、長崎大学病院の消化器内科で、多くの方々に慕われる存在です。その基礎を作り、ひと味違う、たくさんの引き出しを持たせてくれたのが、離島・二次離島での経験だと思います。どんな状況にも「臨機応変」に対応してきた貴重な経験は、将来の大きな財産になると思います。