
私たちのワークライフバランス実践術
女性養成医編 Special Interview
小児科 伊藤 瑞子 先生(80代)
2025年6月5日インタビュー
<離島に勤務した期間>
●1984年4月~1994年10月 長崎県離島医療圏組合いづはら病院小児科(現 長崎県病院企業団長崎県対馬病院)
Q1. 対馬で地域医療に従事して、良かったことは何ですか?
A1. 一番働ける時期に、対馬の周産期医療と小児科診療の定着に貢献できたことです。
Q2. 逆に、大変だったことは何ですか?
A2. 医療は、基本的にチーム医療であり、それまでヘリ搬送していた患者さんを現地で診療するためには、病院全体のスキルアップが必要です。その猶予もないまま、赴任してすぐに、患者さんは待ったなしで押し寄せてきました。
心配でなかなか病院を離れられない、という切羽詰まった状態で働く日々。当時はポケットベルも携帯電話もない時代でした。
小児科医が私1人だった数年間は、入院患者さんがいれば、夜も必ず病棟に出掛けていました。まさに体力勝負でしたね。
Q3. 対馬での子育て経験を振り返ってみて、いかがでしたか?
A3. 3人の子ども達は、それぞれの職業が大好きで仕事熱心に育ちました。結果的に見れば、私達夫婦が働く背中を身近で見てくれたのは良かったかなと思っています。
逆に困ったことは、高校受験の前に長男から「書店に参考書は各科それぞれ2種類しかないよ」と言われたこと。本の通販もない時代で、結局、3人とも高校は対馬を離れることになりました。子どもの教育については、永遠の課題でしょう。

Q4. 伊藤先生にとって、離島とは?
A4. 地域に密着した医療を、病院全体で話し合いながら実践できた、素晴らしい仕事場でした。
Q5. 将来養成医になる医学生や、養成医へメッセージをお願いします。
A5. 長崎県の養成医制度が始まって、半世紀が経過しました。いま、日本全体で少子高齢化や過疎化が進行し、医療格差が広がっていますが、この養成医制度は、医師の働き方を含め日本の医療のあるべき姿の先取りだったのではないでしょうか。
今回の素晴らしいインタビュー(私たちのワークライフバランス実践術 女性養成医編 Vol.2)冊子を拝見し、そう確信しました。
養成医の皆さんの研修医終了後の赴任先は、「Dr.コトー」のように一人きりの病院ではなく、複数の医師がいる病院です。責任ある立場で、地域での信頼とやりがいのある医療を学べる場が整っています。長崎医療センターや所属医局、あじさいプロジェクトなど、ハード・ソフトの両面で支援を受けられる体制も完備されています。
先輩の中には、自立したより良い医療人生を歩むロールモデルがたくさんおられます。
義務年限は“足かせ”ではなく、医師としての長い人生の初めに、今後の自分の働き方を決められる“保証期間”であるとも言えます。
養成医制度は、女性医師に対しても、子育てしながら働ける環境が整えられており、画期的なシステムです。養成医同士が結婚しても、ともに働き続け、社会的責任を果せるよう制度環境が整えられてきました。
これらは当事者の努力と、行政の医療確保に対する熱意と姿勢の賜物でしょう。
医療の偏在が厳しくなっているこの日本で、女性医師の活躍なしに医療の確保は難しいと思います。
若い時に、地域医療を体験し、知識を得た皆さんの、今後の活躍を期待しています。
Special Question. 対馬で育った次女のMISIAさんは、類まれな音楽の才能で、紅白の大トリも務められましたね。素晴らしい歌手に成長する予感はありましたか?
A. 歌うことが大好きだったので、好きな道に進めてよかったと思っています。
好きなことなら、努力も苦にならないのでしょうね。楽しく頑張っているようです。
紅白は予想もしていませんでしたが、出場できて家族も喜んでいます。
<センターより>
2019年に伊藤瑞子先生へ「輝く卒業生インタビュー」の企画でお話しを聴かせていただきました。
その頃から「育児の共有」をテーマに、精力的に講演活動を続けられています。
2025年7月に、厚生労働省は「イクメンプロジェクト」の後継事業として「共育(トモイク)プロジェクト~職場も家庭も、脱ワンオペ。「共に育てる」に取り組める社会へ~」を立ち上げました。
雇用環境・職場風土の改善など、多くの企業が「共育て」しやすい環境作りに積極的に取り組めるよう、普及啓発活動をこれから展開していくそうです。
私たちセンターも「あじさいプロジェクト」活動を通して、県内で働く医師の「共育て」の機運の醸成を図れるように、引き続き尽力したいと思います。