新着情報・コラム

  • 私たちのWLB実践術

女性養成医編-(2)『壱岐のDr.コトーを目指して持続可能な仕組みをつくりたい』山口 純子 先生

2024.03.08

私たちのワークライフバランス実践術 No.26
女性養成医編(2)
長崎医療センター 産婦人科 山口 純子 先生(40代)

<同院麻酔科医のパートナーと小6・小3の双子のお子さん>
『壱岐のDr.コトーを目指して持続可能な仕組みをつくりたい』
2023年6月6日インタビュー

<略歴>
● 医学部(他県)卒業
●2004年 長崎医療センター研修医(2年間)
●2006年 長崎県上五島病院外科(3年間)
●2009年 自治医科大学附属さいたま医療センター(6か月)、東京北社会保険病院(現:東京北医療センター、6か月)で産婦人科研修
●2010年 長崎県上五島病院産婦人科(3年間)・出産
●2013年 長崎県対馬いづはら病院産婦人科(3年間)・出産
●2016年 森産婦人科病院(北海道旭川市、2年間)
●2018年 長崎・大村市内で非常勤勤務(3年間)
●2021年 長崎医療センター産婦人科【義務年限:6年✕2=12年間→義務完遂】

Q1. 養成医になった経緯を教えてください

A1. 高知大学に入学後、長崎県から修学生の募集案内がありました。私は長崎県壱岐市出身で、将来的には故郷で医療をしたいと考えていたので、ちょうどいいと思って応募しました。

ところが試験の時、「壱岐は離島医療圏の病院に入っていないよ(当時)」と言われてしまったんです。「これは落ちたかな…」と思ったのですが、離島の出身者で島に行きそうな人材だと思われ合格したようです。12年の義務も、苦になることはありませんでした。

研修医のころ、外科か産婦人科か、進路を悩んだ時期がありました。産婦人科の研修中に、ICUで1か月頑張った末、亡くなられたという母体死亡例を経験。命を助けるために、全身管理ができるようになりたいと思いました。「離島に行くならまず外科から始めよう」と考え、3年目からは外科医として働きました。

その後、産婦人科医のニーズもあり、また女性の一生に関わることに強く魅力を感じていたため、産婦人科を専攻しました。

Q2. 普段の1日のスケジュールは、どんな感じですか。

A2. 朝5時半に起床、洗濯、朝食の準備、朝食、片付け、子どもを送り出し、8時半から勤務開始です。夫のスケジュールは、曜日によって異なります。平日は夫の両親が2世帯住宅に同居してくれていて、夕食の準備、子どもの世話を手伝ってくれます。

夕方は早い時は18時過ぎ、手術などで遅くなる時は20時過ぎに帰宅。夜遅い時は、子ども達は夕食を食べ終わり、宿題もしてお風呂も入って、寝ていることもあります。

平日の夜は、週2回くらい家族みんなで夕食を食べる感じですね。今は塾やプール、英会話などの習い事もあるので、子どもの帰りも遅くなってきました。私が仕事帰りに子どもの迎えに行くこともあります。週末は、両親は長崎の家に戻るので、自分達で食事を作っています。

Q3. 山口先生にとってのロールモデルは?

A3. 女性養成医の先輩では、私が初めて長崎県上五島病院に赴任した時にいらした、友廣真由美先生。社会人大学院にも行かれていて、すごいなぁと思っていました。

同じ長崎県上五島病院で勤務されていた、八坂貴宏先生(現在:長崎県対馬病院長)とは、ずっと一緒に仕事をさせていただきました。「長崎県の離島を含めた地域医療を良くしたい」「離島医療圏を、より良く働ける場所にしていきたい」という考えをずっと聞いてきたので、良い意味で洗脳されたかもしれません。八坂先生は、ずっと私に離島医療のことを考えさせてくれる存在でした。

Q4. 離島医療に従事して、良かったことは。

A4. 患者さんの人としてのすべて、全体を見て入っていけるところ。病気だけじゃなく、生活・地域のことまで考え、支えることができるのが、一番面白みを感じるところですね。

今、長崎医療センターで働いていて、難しい手術をやり遂げると嬉しいし、勉強にもなって楽しいですが、私自身は、外来で病気以外の話しも聞いて、道で会っても声を掛け合える関係性が好きだなぁと感じます。

特に産婦人科だと、お産で取り上げた子ども達が、その後大きくなって、今度は思春期の悩みを聞かせてくれるわけです。そんな感じで、地域の皆さんのライフサイクルに寄り添っていけるのが好きですし、楽しいですね。

Q5. 逆に、大変だったことは?

A5. 研修期間が終わって医師として3年目、いきなり離島で働き出した時ですね。何も分からないまま放り込まれて、当直もして…。昔はそんな感じでしたが、今はもっとバックアップ体制も整っていると思いますよ。

長崎県上五島病院時代(2012年)

Q6. 離島で働く医師としてのやり甲斐は、どんなところですか。

A6. 上五島が長かったので、病院で取り上げた子が大きく成長する姿を見たり、外科で診ていた、がんの患者さんを、科が違っても最期まで看取ることができたりして、本当に「ゆりかごから墓場まで」を体感できることですね。在宅診療もいいと思っています。

私は「コトー先生(『Dr.コトー診療所』)みたいになりたい」とずっと思っていました。実際に離島医療に携わってからは、「コトー先生のような、離島やへき地の医師が、ずっと働き続けられる仕組みを作らないといけない」と思うようになりました。コトー先生1人だけでは、助けられる人が限られてしまいます。離島で医師が無理なく仕事ができる仕組みを作りたいと思っています。

Q7. パートナーとの出会いは。

A7. 長崎医療センターで初期研修1年目の時に、学年が1つ上の夫と出会いました。私が長崎県上五島病院勤務2年目の時、夫も同院で勤務しました。その時は2人とも外科に所属。その後も一緒に、企業団病院で働いていました。

第1子は長崎県上五島病院で出産。双子の第2・3子は長崎医療センターで産みました。

私の義務が終わる時、夫が「旭川医科大学の麻酔科に行きたい」と言ったので、2年間一緒に北海道へ。最初の1年間はまだ下の双子は1歳くらいだったので、専業主婦をしてみようと思いました。でも、仕事してる方が楽かなぁと思って働き始めました。

Q8. 離島での生活、子育てはいかがでしたか。

A8. 子どもが小さい時、うちはよく夜中にドライブに行って、寝かし付けていました。車にいつも釣り竿を載せていて、子どもが寝たら、親は釣りをしていましたね~(笑)。
海がすぐ近くですから、自然の中で、のびのびと遊べて楽しかったです。今でも、私が仕事で離島に行く時、特に夏は、夫や子どもも一緒に行って遊んでいます。

Q9. 専門医取得、学会参加については。

A9. 長崎県対馬病院勤務時代に専門医を受験しました。学会参加に対しては、そんなに真面目ではなく、必要な時だけ参加していました。今はWeb参加もできるようになりました。若い先生方には離島からたくさん発信してほしいと思っています。

Q10. 育児・家事の時間短縮のコツや、お勧めしたいことは?

A10. 夫は、できないことがないくらい、家事も育児も何でもできるので、半分以上担ってくれます。最初は、むしろ私の方ができないことが多かったかもしれません。便利家電も育児グッズも色々試していいます。1人で頑張りすぎないことが大事だと思っています。

Q11. 子育てから得た学び、ピンチの経験などは?

A11. 子どもの妊娠中から、すべてが「学び」ですね。経験があることで、患者さんとも話しやすくなります。私自身が「ヘリ搬」「緊急入院」「帝王切開」されたので、実体験が仕事にも役立ちます。

妊婦さんの「ヘリ搬」は、産んだら元気に帰ってこられるので、前向きに「行っておいで」と送り出せるのがいいですよね。

妊娠するまでは、仕事ばかりしていました。夜12時前に帰ることはなく、病院に寝泊まりするような生活。ところが妊娠中、急に「ヘリ搬」されることになってしまいました。

その時、「1人で仕事をしていてはいけない。みんなで分担して、急に1人いなくなっても、チームで仕事ができる仕組みが、離島であっても必要」だと思いましたね。

子育て中の医師に「何かあっても大丈夫だよ」と言ってあげられる仕組みを、離島でも作っていければ、両立のプレッシャーは軽減されると思います。

私は、周囲の皆さんによく助けてもらったので、ピンチはあまりなかったですね。長崎県上五島病院時代に、時間外の超緊急の手術で、夫も私も手術に呼ばれたことがありました。仕方なく、子どもを手術室の近くに座らせていたら、託児所の人が連れにきて預かってくれたんです。

長崎県上五島病院では、夫と私が夜2人呼ばれることを想定して、当時の八坂院長が託児所を24時間にしてくれた上、院内での病児保育も始めてくれたので、本当に助かりました。長崎県対馬病院でも同じように体制を整えてもらえました。

Q12. これまでで、一番悩んだ時期はいつでしたか。

A12. 離島にいる間は、人事異動はお任せだったので、あまり悩まなかったですね。むしろ最近の方が、今後どこで何をしていけば良いか、悩みますね。

Q13. ストレス解消法、趣味などを教えてください。

A13. もともと、あまりストレスを感じない方。「スラムダンク」の映画は見に行けませんでしたが、原作の漫画を読み直しましたよ。8月の「五島列島夕やけマラソン」(ハーフ)に出ようと、これから走り込みの練習予定です。

Q14. これからの人生設計は、どうお考えですか。

A14. 将来的には、また離島で働きたいと思っています。10年したら子どもも成長し、巣立っていくでしょう。そのタイミングで島へ行きたいですね。

いつか壱岐に戻り、最終的にはコトー先生のようになりたいので、産婦人科医というより総合診療医として働きたい。

今はまだ産婦人科医不足で、離島のバックアップなども必要です。当面は、こちら(本土)でできることをしながら、若い養成医の先生のサポートをしていきたいと思います。

産婦人科医としては、得意分野のプライマリーのウィメンズヘルスケアの引き出しを増やし、幅を広げていきたいです。内科的な知識も増やしながら、戦闘能力を上げたいですね。

長崎県対馬いづはら病院時代(2013年)

Q15. 山口先生にとって、離島はどんな場所ですか。

A15. 離島は、自分の仕事においても生活においても、ベース(基盤)ですね。

Q16. 10年後の離島医療の展望について、どうお考えですか。

A16. 私が医師になったころと比べると、今は離島の医師が2倍くらいに増えています。専門分野化が進んでいるのですが、この先は人口が減っていくので、専門医より、総合診療ができる医師が求められる時代がくると思います。

そこに向けて長崎県も、養成医の配置などを考えていくでしょう。それに合わせて、養成医が育つ手助けをしたいと思っています。離島でのAIや、通信技術などの活用も大事ですね。

今は自分自身も、専門分野の道を進んでいますが、この先の自分の夢に向け、何でも診ることができる医師に戻ろうと考えています。

Q17. 将来養成医になる医学生や、後輩養成医へのメッセージをお願いします。

A17. 最初の気持ち、離島・地域に行こうと志した時の気持ちを、何かに書き残しておくといいですよ。初心を忘れないように、つらい時はそれを見直してほしいと思います。

<センターより>
離島に生まれ、最後は離島で医者をしたいという山口純子先生。女性養成医のロールモデルとして、後輩の憧れとなり、また後輩の悩みを聞いてあげる大事な存在。双子のお子さんがいても、フルタイムで働くレジェンドです。八坂貴宏先生の薫陶を受け、離島医療、あるいは養成医の働き方を、より良いものにすることを考えておられます。これからも後輩のために、地域医療のために頑張ってください!