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輝く卒業生インタビュー 黒﨑 伸子 先生

2015.09.09

VOL.2
黒﨑 伸子 先生
・黒﨑医院院長
・ながさき女性医師の会 副会長
・国境なき医師団日本 監事
・日本BPW(Business & Professional Women)連合会 監事
・長崎大学大学院国際健康開発研究科 非常勤講師

<略歴>
1981年(昭和56年)3月 長崎大学医学部卒業
1982年〜 東京女子医大病院・一般外科、聖隷浜松病院で研修
1983年6月 長崎大学病院第一外科入局、国立小児病院外科にも勤務
1989年4月〜 長崎大学病院で小児外科医として勤務
1995年〜 長崎大学病院第一外科助手
1998年〜 長崎大学病院第一外科講師
2001年3月〜 上記退職後、独立行政法人国立病院機構長崎病院外科部長や長崎県内病院の非常勤医師、黒﨑医院勤務医等を務めるかたわら、国境なき医師団での海外活動を行う。
《スリランカ、イラクミッション(ヨルダン)、インドネシア、アチェ、リベリア、スリランカ、イジェリア、ソマリア、シリアなどで海外医療援助活動への参加のほか、東日本大震災でも支援活動を行う。》
2010年3月〜 国境なき医師団日本会長、黒﨑医院院長に就任
2015年4月〜 国境なき医師団日本監事

医師を志した時期や理由をお聞かせください。

父親が外科医、母親は看護師で、現在院長をしているこの医院の中で両親が働く姿を見ながら育ちました。ガーゼをたたむ手伝いをしたり、患者さんに遊んでもらったりしたことを面白いと感じて医師を目指しました。

ロールモデルとなった方はいらっしゃいますか?

大学生の頃、長崎大学病院に女性医師はほとんどいませんでしたが、九州大学の水田祥代先生(現在は九州大学名誉教授、学校法人福岡学園理事長)がイギリス留学から戻ってこられた時にお会いする機会があって、小児外科という領域に活路を見出しました。

卒業後、まだまだ女性医師への偏見等がある頃だったので、男性医師と一緒では研鑽を積む機会が少ないかもしれないと感じ、東京女子医大なら女性しかいないので活躍できると思い、研修に行きました。

そこの外科には太田八重子先生(故人:東京女子医大名誉教授)がおられ、女性の教授もおられ、先輩方の存在に勇気づけられました。

これまで、一番つらかったことはどのようなことでしょうか?

長崎に戻ったら、メスを握る外科医は男性だというイメージを患者さんが持っていて、手術前の患者さんから「おれの腹のなかに手を入れるな!」と、言われたときはつらかったですね。
その頃は女性の外科医がまだ信用されていない時代でした。ですが、数年勤務した後には、患者さんから信頼されるようになったと思います。

それと、一番恐怖を感じたのは、国境なき医師団での海外活動の際に、派遣されたソマリアで銃撃戦を目の当たりにしたときや、シリアから帰る日に銃を持った人たちがやってきて、しばらく事務所で息をひそめて隠れていたときですね…。

海外では命の危険を感じることもありましたが、イスラム教の国では女性に手術できるのは女性だけなので、女性外科医はとても貴重なのです。

国境なき医師団では最近まで会長として活躍しておらましたが、どのような経緯で会長という立場になられたのでしょうか

2001年から国境なき医師団の海外活動に参加しましたが、2005年に医局人事から離れて、国境なき医師団の活動を中心にしているうちに、2010年から日本の会長に就任しました。

会長という立場になって、考え方が変わったことはございますか?

あまり変わりませんでした。

会長になって、大変なことはどのようなことでしたか?

国境なき医師団に参加する医師は、いろんな考えを持った方が集まっているので、意見を聞き、議論して、YES/NOをはっきりさせて話を進めるのが大変でした。

リーダーになってよかったと思われることはどのようなことでしょうか?

ネットワークが広がって、いろんな人と知り会えたことですね。
また、たくさんの業務があるので、人に任せることができるようになりました。任せられる余裕が自分にできたことがよかったことです。

@MSF

これからやりたいこと、今後の予定や夢などはございますか?

10年間していなかったスキューバダイビングをしたいですね。
また、アフリカの国の3分の2はフランス語圏なので、フランス語を上達させたいですね。フランス語のレッスンは今も受けています。
そして、今は親の介護などで海外活動に参加することは難しいのですが、行くことができる日がきたら、またソマリアに行きたいですね。
前回(2008年)派遣されたときに、状況が悪化して、さよならを言わないまま帰ってきたのが心残りで・・・。

リラックスするための方法や趣味はお持ちですか?

映画を見て、ジムで週2回筋トレをすることです。特に筋トレにハマっています。

女性医師、若い医師へのメッセージをお願いいたします。

プロとして、自信を持てる専門領域を持つように、頑張ってほしいです。病気をみるのは当然ですが、人間を見る医師になってほしいです。
いろんな引き出しを持つ、懐の深い医師になってほしいです。
興味のあることには、ひるまずにチャレンジしてください!
私は、やらずに後悔するより、やってから後悔するほうがいいと思っています。また、女性であっても結婚・出産・子育てをしない人生もあるということは伝えたいですね。
キャリア形成に集中することができますよ!!

<インタビューを終えて>

2015年3月に国境なき医師団日本の会長を退任されて半年が経ちました。
今はお父様の医院を引き継ぎ、地域の子どもさんから大人まで診察しながら、時折海外の会議に参加され、東京との電話会議などで国境なき医師団の仕事もされています。

2011年にNHKの番組(※1)に出演された黒﨑先生をご覧になった方は多いと思います。
日本ではありえない状況・事情をたくさん経験されておられます。
戦争・紛争・災害のあるところへ行く勇気と、そこで非常に役に立つ外科・小児外科という専門をお持ちの黒﨑先生、「長崎には黒﨑先生がいます!」と後輩が胸を張って言える先生です。
先生の勇気を見習って(戦地にはなかなかいけませんが)、チャレンジできることには、チャレンジしていきたいですね。
《※1》2011年7月7日(木)22:55~23:25NHK総合「爆笑問題のニッポンの教養『戦渦の外科医ノブコ』」(平成27年8月インタビュー)