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輝く卒業生インタビュー 瀬戸 牧子 先生

2016.03.01

VOL.4
瀬戸 牧子 先生
・長崎県医師会 常任理事
・ながさき女性医師の会 会長
・社会医療法人春回会 長崎北病院 副院長 
・長崎医療技術専門学校 非常勤講師

<略歴>
1978年(昭和53年)3月 長崎大学医学部卒業
1978年〜 長崎大学病院第一内科入局~研修医・医員
1980年12月 長崎北病院内科勤務
1981年6月〜 夫の留学に伴い渡米し1年間専業主婦
1982年7月〜 ヘンリーフォード病院附属研究所研究員
1983年12月〜 帰国、長崎北病院勤務
1990年4月 長崎北病院 副院長

医師を志した時期や理由をお聞かせください。

子どもの頃から弁護士か医師になろうと考えていました。
高校生になるとき、仲良しの同級生が白血病で亡くなり、大変ショックを受けましたが、それが直接のきっかけとなり医師を志しました。

実家は開業し、父親は大学と開業、母親は事務や給食など病院の仕事を切り盛りしていました。
特に中学生になるまでは、住み込みの看護師さんやまかないの人10~20人と同じ屋根の下で生活をしていました。母は栄養士の資格を持っていましたが、結婚後に看護師免許も取りました。

母も、看護師の方たちも、周りの女性はみんな働いていたので、働くことは当然だと思って育ちました。それと小学生の頃に、祖父が脳卒中で寝たきりになり(5年間)、自宅で介護のお手伝い?をしてお駄賃をもらったりして、病気の家族と一緒に住んだ体験も、医師を目指した理由のひとつかも知れませんね。

どのような医師を目指しましたか?ロールモデルとなった方はいらっしゃいますか?

医師は社会に奉仕する、というスタンスで、社会で苦しんでいる人に寄り添い、困っている人に共感することができるのが医師だと思って育ってきました。
これは今になると父の影響かもしれないと思います。医師としてではないけれど、働く女性のロールモデルは、母や看護師、栄養士さんなど、周りでずっと働いていた方たちですね。

これまで、一番つらかったことはどのようなことでしょうか?

つらかった、というか悲しかったことは、アメリカから帰国後仕事をしながら子どもを4人産んでいたので、神経専門医の試験を受けるのが遅くなってしまいました。アメリカに行く前に専門を決めていたら、無試験で合格できた可能性もあったのですけどね。

実際、受験していた頃は、神経専門医試験の合格率は3割未満と一番難しかった頃で、1997年に合格しましたけど、それまでに何度も受けて、何度も落ちて・・・、周りは若い人ばかりだし、仕方がないと思っていたけど、情けなくって・・・。
そう思うと、専門を決めて、専門医取得までのプランを、きちんと立てるほうがいいですよね。

現在の長崎県医師会で初めての女性の常任理事という立場には、どのような経緯でなられたのでしょうか

以前から、長崎県医師会の蒔本会長からお話しはいただいていました。
昨年(2014年)60才の還暦を迎えて、子どもたちが大学生や社会人になってひと段落し、何か新しいことを始めようかと思っていたときに、蒔本先生から光栄なことに再び声をかけていただきました。

自分自身のためだけではないことをやってみようと思いつつも、ためらっていると、なんと夫から「してみたら?」と勧められて、それならと思い一歩踏み出しました。
これまでは、リーダーシップを発揮するタイプではなく、フォロー・サポートする副リーダーのポジションが好きだったので、リーダーってどんな感じか今も戸惑っています。

常任理事という立場になって、考え方が変わったことはございますか?

人と会うことは好きなので、これまで接する機会のなかった人たちと知り会うことが増えて、楽しいですね。考え方が変わったというわけではないですが、いろんな考えの人たちがいるのだなぁと、つくづく思うようになりました。
さらに周りに支えられて、恵まれて、ここまでこれたんだなと思いを新たにしています。

理事になって、大変なことはどのようなことでしたか

たとえば、県から依頼されて、医師会から有識者として、他分野の会議に参加して、医師会の立場としての意見を求められて、発言したりすると、それが議事録に掲載されます。
医療人の立場としての意見を求められることもあって、私の発言で方針が変わることもあります。
今までそのような立場で物事を考えたことがないし、社会全体の中での医療の役割を考えたことはあまりないので、難しいと感じることがありますね。

理事になってよかったと思われることはどのようなことでしょうか

これまで知らなかったこと、社会のしくみが、少しわかってきて、やりたいことをやるには、しくみを変えることが必要なのでは?と気づいたことですね。
たとえば難病の患者さんの支援などでも、これまであがいていたけど、できなかったことが、できるのではないかと、光を感じるときがあります。

リラックスするための方法や趣味はお持ちですか?

畑仕事、ガーデニング、料理で、働いて疲れること!
パソコンのゲームも好きで、シンプルなアクションゲームは得意ですよ。毎年学会発表のため夫も一緒に海外旅行に行っています。

これからやりたいこと、今後の予定や夢などはございますか?

年をとったら、手芸をしたいですね。自分で育てた作物で料理をつくりたい。
大きな夢はないけど、健康に生きていきたいですね。

女性医師、若い医師へのメッセージをお願いいたします。

私は、専門医をとるのが遅くなってしまって、自信がないまま過ごしてきた時間がとても長かったので、自分が自信のもてる専門分野をつくって、専門医という資格にすれば、楽な気持ちで働くことができるのではないかと思います。

それと、子育ての期間は、途中でパート勤務でもいいけれど、少し余裕が出てきたら、責任を持つ仕事をしていく、たとえば病院全体の委員会に入ったり、土曜の勤務もできるときはしたり・・少しずつ仕事を増やして、きちんと責任をもって仕事をしていく事は大事だと思います。

<インタビューを終えて>

長崎県医師会には、たくさんの部会や諮問委員会があり、瀬戸先生も複数の部会・委員会に所属されています。特に当センターとの関係も深い男女共同参画委員会の委員もされており、テレビで「【医師会の取り組み 安全安心な医療のために】ワークライフバランス」についてお話をされています。

瀬戸牧子先生が副院長をされている長崎北病院には、子育て中の女性医師がたくさん勤務されています。その女性医師の皆さんを先導をしながら、バックアップもしてくれる、明るく優しい先生です。

4人のお子さんの子育てで忙しかった時も、現職の常任理事として忙しい時も、周りの方から手伝っていただいていると感謝する姿勢が素晴らしいです。
瀬戸先生が県医師会常任理事へ参入されて、なにかが変わってくるのではないでしょうか。

また、キャリア形成する中で女性は、出産・育児の回数が多いと、専門医の資格試験を受けるタイミングは難しく、現在長崎大学病院でスタッフとなっている母医師も、同期より遅れて専門医を取得されています。
それでも、きちんと資格を取ること、できれば、専門領域を早く見つけて、仕事のプランを立てつつ、出産・育児などのライフプランを立てることができるといいですね。
両立の決め手のひとつは、上手なプランニングだと思います。
近い将来、出産や専門医試験の時期を迎える先生方は、一度、計画表をつくってみませんか?
(平成27年11月インタビュー)