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輝く卒業生インタビュー 安部 恵代 先生

2023.06.28

VOL.14
安部 恵代 先生
・西九州大学 健康栄養学部 健康栄養学科 教授

<略歴>
1994年(平成6年)3月 長崎大学医学部卒業
1994年4月〜 長崎大学医学部付属病院第一内科入局、研修開始
1997年4月〜2001年3月 長崎大学大学院医学研究科入学〜修了
2001年4月〜2003年8月 佐世保中央病院
2003年9月〜 長崎大学医歯薬学総合研究科 公衆衛生学分野 助手
2007年4月〜 同、助教
2009年1月〜 同、講師
2011年1月〜2011年3月 英国・シェフィールド大学留学(骨粗鬆症の疫学研究)
2013年5月〜2022年9月 長崎大学医歯薬学総合研究科 公衆衛生学分野 准教授
2020年10月 現職

医師を志した時期や理由をお聞かせください。

私が子どもの頃は、病気がちで入院することもあり、病院や医療との接点がありました。幼いころからピアノがずっと好きで、夢中になってガンガン弾いていて、ピアニストになることまでは考えていませんでしたが、ピアノ教師や音楽教師になることは漠然と考えていました。

高校2年生で文系か理系かの選択をする時に、音楽以外で文系の仕事は思い浮かばず「理系」を希望して、職種は医療関係がいいなと思って「臨床検査技師」と書いたところ、当時の高校の担任の先生から「医師にしなさい」と言われました。

進学校だったので、先生がそのように指導をされたのですが、それがきっかけとなりました。
振り返って考えてみると、ブラックジャックの漫画本は、よく読んでいました。

手に職をつけたいと思っていましたし、子どもの頃に入院していた時の主治医の先生は、とても優しい先生だったので、医師に対して良い印象を持っていました。

私は結婚願望が無いというか、専業主婦になるイメージが全くなかったので、長く働き続けられる仕事ということで、医師・医学部を目指そうと決めました。

どのような医師を目指しましたか?ロールモデルとなった方はいらっしゃいます

ピアノを弾くのは好きなのですが、実は手先は器用ではなく、内科系の進路を考えました。
一人の人の診療に長く関わっていきたいと思って、第一内科を選びました。

第一内科にはたくさん、ロールモデルになる素晴らしい先生がおられました。研究においては、公衆衛生学の青栁潔教授を、ロールモデルとして尊敬しています。

公衆衛生学教室に入るきっかけは、大学院卒業後、病院勤務で慌ただしい毎日を過ごしている頃に、基礎で骨代謝をするスタッフを探しているという話が私に届いて、動物実験は得意ではないので、それ以外なら…とお返事をしたら、公衆衛生学・社会学だったので、面接を受けて助手になりました。

社会学のことも、疫学のことも、統計のことも、すべてゼロから勉強しました。五島や南島原での疫学調査・フィールドワークも、案外やってみると好きなんだとわかり、楽しく参加しています。

自ら現地に足を運んで調査し、後から得たデータを検証するのは大変楽しいものです。
今日も今から調査です!

これまで、一番つらかったことはどのようなことでしょうか?

つらかったことは、あまりないのですが、しいて言えば、大学院での実験で結果がなかなか出なかったことや、公衆衛生学に入ってから数年間は、科研費が獲得できなくて、毎年、毎年挑戦しても受からなかった時は、ちょっとつらかったですね…。

それでも、その時にあまり深刻にならなかったのは、うまくいかない時に一緒に考えてくれる人がいたり、実験の段取りをしっかりして夜は早く帰って寝ようよと励ましてくれる同僚がいたり、科研費についても青栁教授からプレッシャーをかけられるどころか、一緒に悩んでくれるくらいだったので、本当に良かったです。

青栁教授は途切れることなく科研費を獲得されているんですよ。
青栁教授や先輩方・同僚からの助けがいつもあったので、つらいと感じることは少なく、最高の環境で楽しく研究生活をしていました。

公衆衛生学分野のメンバーと(2017年)

西九州大学教授という立場には、どのような経緯でなられたのでしょう

准教授になるということは、次は教授を目指すということでもあります。准教授歴も長くなり、いくつか教授選考に応募しました。

西九州大学には本学出身の草野洋介先生(当時学部長)がおられて誘ってもらい、西九州大学に決定しました。

西九州大学神埼キャンパス

教授という立場になって、考え方が変わったことはございます

基本的なスタンスは変わりません。私の座右の銘は「為せば成る」「なんとかなる」ですから。20歳代の学生さん達は可愛らしく、教員と学生の距離感の近さ、密接な関係づくりを大学の特長としていることもあり、教育者としての責任を感じますね

教授になって、大変なことはどのようなことでしたか?

研究だけに没頭していた時代とは違い、学生に授業をする時間が増えていますし、大学の組織の中での役割も増えて、人間関係を含めて、いろいろ大変なことはあります。

教授になってよかったと思われることはどのようなことでしょう

これまでは、周りから与えられていることが多かったですけど、教授になってからは、自分が独り立ちして、誰かに還していく番がきました。

学生を卒業させて社会に送り出す、大学院生にちゃんと学位を取らせることなど、私が今まで授けてもらっていたことに対して、還す機会を持てたことは良かったと思います。

これからやりたいこと、今後の予定や夢などはございます

私は本当に行き当たりばったりの人生で、先のことを深く考えずに行動してきました。結果、良い状況になっています。

変化は基本的には怖いものかもしれませんが、変化によって、良い方向に導かれるんだという思考を持って、これからも、目の前のことをやりながら、楽しくやっていこうと思っています。

楽しくなさそうなら、楽しくなる方法を考えます。「いつでも辞められる」とふっきった考えを持っていれば、楽しくやれますよ。楽観的ですかね?!

リラックスするための方法や趣味はお持ちですか

ピアノは変わらず身近にあって、学生の頃は教育学部の音楽棟で弾いたり、臨床医の頃は電子ピアノを弾いていました。10年程前に自宅購入を機にピアノを楽しむための防音室を作り、グランドピアノも買って思う存分、弾ける環境も整えました。

また教室で習い始めて、サークルにも入り、時々演奏を披露しあったりします。今練習しているのは、ラヴェルの「水の戯れ」というちょっと難しい曲です。グリッサンド(指を滑らせて流れるように弾く)をして指の皮がむけました…。

他には語学オタクで、ハリーポッターは英語で読みました。ファンタジー、SFやホラーなどの現実逃避系が好きで、近頃は電子書籍で読んでいます。映画やゲームも現実逃避系が好きで、いつも遊んでいますよ。

ピアノとともに

女性医師、若い医師へのメッセージをお願いいたします。

私はキャリアプランをあまり考えずに、先のことより目の前のことをやってみて、楽しかったら続けてきましたが、女性医師はプランがないと、逃すものもありますよね。

結婚や出産のことを考えるなら、キャリアプランを考えた方がいいですね。医学部を卒業した時に24-25歳、医師になって頑張って仕事をしていたら、すぐ35歳くらいになってしまいますから…。
いろいろ計画して、プライベートも後回しにしない方が良いのかもしれません。結婚や出産を考えている人は、先を見て、やりたいことをやってほしいですね。

子どもがいるからとか、夫が言うからという理由で、色んな事を諦めないでほしいです。私は今まで女性だからと差別されたことはありませんが、結婚しただけで縛りが出てくる場合もまだあると思います。

そういう人のお手伝いが出来たらいいなと思うことがあります。現在の職場にも、仕事と子育ての両立が大変そうな先生がおられます。つらい時は、誰かに相談してほしいです。人に相談しにくい人もいると思いますが、負担に感じた時は周囲に伝えた方が良いですよ。楽しく仕事ができることが一番大切です。

私の親は、「あなたは医師になったと思っていたけど、公衆衛生とか、教授っていったいどんな仕事をしているの?」と、仕事内容はよく理解できていないのですが、説明しても結局は「楽しくやっているならいいけど」と。楽観主義は母譲りのようです。

<インタビューを終えて>

臨床も研究も、好きなことを続けている安部先生。
あまり考えすぎずに「為せば成る」「なんとかなる」という信念で、新しいことに挑戦されてきました。その結果、順調にキャリアアップして教授に就任されています。

「好きなことを見つけること」は、輝く卒業生インタビューVol.5有井悦子先生のメッセージにもありました。楽しいと思って続けられる物事に出会うことは、成功への第一歩だと思います。

「好きなこと」「楽しくできること」を探しましょう。そして、つらい時、楽しくない時は、誰かに相談しましょう。

メディカル・ワークライフバランスセンターは「長崎県女性医師等就労支援相談窓口」です。
いつでもご連絡・ご相談ください。
(令和5年5月インタビュー)